BS1スペシャル「緊急被ばく医療の闘い~誰が命を救うのか~」

2019年3月21日

何となくBSをつけたら始まって、気付けば最後まで見入っていた。見終わってすぐこれを書いているため、医師の名前含む詳細まで記述できないことはご容赦願いたい。できれば録画したものを見直して正確に記載したいのだけど。でもそれよりも「見終わってこみあげるもの」を書きたくて。

どんな番組だったのか

医師たちが撮影していた映像などをもとに、東日本大震災が発生してから7日間を「被ばくを専門とする医師たちの視線」から追うドキュメンタリー。110分にわたる長編だったが、目が離せなかった。

BS1スペシャル「緊急被ばく医療の闘い~誰が命を救うのか~」(原題ママ)https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/3115571/index.html(公式サイト)

医師たちの戦い 葛藤と涙

1.隔離された患者と葛藤

原発から4㎞地点の病院から避難した患者たち。彼らを治療するためDMATの医師が福島に来る。彼らは当時「絶句した」と語っていた。患者たちは「汚染の可能性」から隔離され、硬い床に寝かされていたのだ。

DMATの医師は、被ばく医療に関する教育を受けておらずどうすべきかためらったと語っていた。もちろん治療はしたい、しかし被ばくに際して二次被害が生じる可能性もある。これを葛藤といわずして何というのだろう。

結局治療をするに踏み切ったが、間に合わず亡くなった人もいたという……。

2.引き返さざるをえなかった医師たち

そして原発で事故が起き、自衛隊員が負傷した。しかし彼らが運び込まれたオフサイトセンターは、応急処置はできるもののきちんとした治療ができる設備がない。

「では搬送すれば?」そう思うが消防はすでに「撤退」を命じられ、搬送に動くことができなかった。ヘリも被ばくを考えて、飛ばすことはできなかった。

困っていた矢先、その事実を知ったある医師たちが、治療のため自らの車を出動し、オフサイトセンターに向かった。しかし残り5㎞の地点で撤退せざるをえなかったという。

残り5㎞の地点から線量計の数値が跳ね上がったのだ。その後自衛隊員は、福島のある病院に運び込まれることとなる。

3.受け入れは決まっていたが

緊急時、患者の受け入れが決まっていたある病院の医師は、原発事故で負傷した自衛隊員を受け入れるべく準備をしていた。前述した自衛隊員だ。

しかしその医師は被ばく医療に関する知識がなく、不安だらけだったという。そこで彼が取り出したのは2001年時に入手した手引き書。震災当時からさかのぼること10年前の手引き書をもとに除染作業を済ませ、治療を進めたのだ。しかしその後も患者が運び込まれる。

印象的だったのは「いつになったら専門家が来るんだろう、自分のような素人ではなく…。いつになったら専門家のアドバイスのもと治療を進められるんだろうか」という言葉。

医師だから治療はできる。とはいえ被ばくとなれば専門的な知識が必要なのは想像に難くない。それなのに「決まっているから」とのことで「被ばくした」と想定される患者が運び込まれ、治療をしなくてはならない。不安を感じるのは当然だろう。見ていて胸が詰まった。

それからしばらくして専門医師が彼の元を訪れた。そのとき彼は安堵から泣いたという。

4.250ミリシーベルトへの引き上げに反対した医師

原発に放水するため消防隊員が出動することとなり、そこにとある医師が同行することとなった。彼はJCO臨界事故の患者を診たこともあるという。

JCO臨界事故とは、ずさんな作業マニュアル(裏マニュアルとも呼ばれる)をもとにした作業によって作業員二名が亡くなった臨界事故のこと。つまり彼は、手を尽くしてもどうにもならない地獄を見た医師ともいえるのだ……。

また彼はJCO以外にチェルノブイリ原発事故における消防隊員の話もあげ、「今回出動する全員が生きて帰れるように」と誓っていた。そして作業時の線量限度は100ミリシーベルトでまとまった。

しかし政府から「人員が不足するならば一人あたりの許容量を250ミリシーベルトに引き上げては?」と提案されたのだ。彼は「250ミリシーベルトというのは、ほぼ確実にがんとなると考えられる数値。専門家としてそれを許容することはできない」と猛反対したという。私もこれを聞いて耳を疑った。

息子へのメールと知らされることはなかった線量

そして彼は、

  • JCOでの経験
  • チェルノブイリ原発事故での被害

を踏まえ、もう命はないものと覚悟し、息子に「この作業で命を落とすかもしれない、そうなったら家族を頼む」とメールを送っていた。それほどまでにこの放水作業は死と隣り合わせだったのだ。

また実際に放水した現場の映像が流れたが、その緊迫感は凄まじいものだった。線量計からと思われる警報音の中、被ばくをできるだけ控えるために手早くかつ慌ただしく作業をする消防隊員たちの姿と声。この緊迫感をどう言い表せばよいのだろう。

さらに、放水にあたって重要な現場の線量について東電から知らされることはなかったとも語っていた。それが分からなければ安全な作業にならないのに情報が降りてこない。結局現地ではかりながら作業をしたそうだ。

そして彼らは

番組の最後で、あのときの葛藤を伝えた医師たちの今を紹介していた。ある医師は、被ばく医療を学ぶことができるプログラムの作成に奔走し、ある医師は実際の教育を行っていた。

教育を行っていた医師の言葉が胸に残る。「失敗を中心に教育を実施している、失敗を知られるのは恥と思うかもしれないが恥じゃない、そんなことより大切なことがある」(私の意訳に近いが)

全員があの日の経験、葛藤と恐怖と死と、ありとあらゆる経験を次に生かすため進んでいたのだ。

原発安全神話が崩れ去り、またずさんな管理も明らかになった今、被ばくを含む事故がまた起こるとも限らない。当時の涙を拭いながら「未来に向けて」進む医師たちの姿が、このドキュメンタリーに映し出されていたのだ。

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